お前の宝は何だ?!
木曜日に観に行った劇団月光斜の四回生卒業公演。
色んな意味でとっても心に響いた。
わたしの宝は何だろう。
物や人、信念や信条。固く信じて疑わないもの。
私にはそんな宝はないかもしれないなと思った。
もう少し探そう。戦国の世じゃなくて良かった。命は懸けなくて良さそうだから。
それにしても、こんなにのめり込める2時間半は月光斜だからこそだなとおもう。心に強く響くから、色々考えるんだ。あっという間の2時間半だった。
少し前に、「不信の自発的停止への異議」というフレーズを知った。金曜一限の授業、古英語を話せてトールキンがやたら大好きな先生が、トールキンについて語りまくってた時に出てきたワンフレーズ。
不信の自発的停止への異議。
物語にどっぷり入り込むことを言うんだと思う。
映画とかを見ていて、それがフィクションであることを忘れてしまうくらい、いやそもそもフィクションかノンフィクションかなんて考える暇もないくらい、その物語の中に入り込んでしまってる状態。
「不信」は「こんなんありえんやろー」という状態。
「不信の自発的停止」は「こんなんありえんけど、まぁ物語だししょうがないかー」という、ある種の諦めの状態?
それに対する「異議」だから、「こんなんありえんけど、まぁ物語だししょうがないよねぇ」と思わせてしまうことはダメだぞと言ってるわけで。
つまり、物語は、それが作り話であることを受け手が気づかないレベルで物語に引き込めるようなものじゃなきゃダメだぞと言ってるわけです。
授業を聞いてる限りだと、それが「不信の自発的停止への異議」?
今回の月光斜の公演は、まさに「不信の自発的停止への異議」でした。舞台であることを忘れ、作り話であることを忘れ、彼らが作りだす世界にただ引き込まれていった時間でした。
だからこそ、こんなにも重く残ってる。
「お前の宝は何だ?」
私の宝は何だろう。
一生見つからないかも知れないけど、それでも、もう少しだけ探してみようと思います。
話は変わりますが、この週末は愛知に帰って来てます。
3限をサボればもっと早く帰ってこれたけど、どうしても休みたくない授業なんすよね。
金曜3限の中国語は、どれだけでも私にモチベーションを与えてくれます。可能性を広げてくれる授業。
きっとこのセメスターは、大学生活の中で一番充実した時間になるだろうと思います。
上手くいかないこともあると思うけど、それでも少しずつ過ぎていく時間と、迫りくる課題の期限を意識しながら、新しい出会いと、毎日毎日いろんなところに転がってる沢山の刺激を、拾ったり拾わなかったりしながら少しずつ進むよ。
じんせいむずかしい。
これがまだまだ続くらしい。
みなさんの「宝」ってなんでしょうか。