Ambiverts

Introvert and Extrovert. いつもどこかに進んでいたい人のブログ

ある歴史の終わり

 

 

生きていくことは、基本的にとても難しいことだと思う。

 

朝起きて仕事に行くことや、永遠に続くダイエット。

そして例えば、過ぎた出来事を自分の中でどう位置付けるかということ。

 

 

その時間にはどんな意味があっただろうかと考える。

どれほど綺麗な言葉を並べても、事実は変わらずそこにあるだけだった。

分かってはいて、あとは受け入れるかどうかだけの話だった。

 

後悔しているとも、していないとも言えない。

過去の出来事を「間違い」と位置付けることは辛い。

私はその時も確かに生きていたから。

 

 

時間は過ぎていくものみたい。そして人は学ぶ生き物みたい。

 

何があっても絶対に、なんてどうして言える?

先のことは分からないという前提に立つべきだし、目の前の人が全てだと思うのは危険だ。

どこまで行っても自分を生きるのは自分だけ。

人生は基本孤独だと思う。

 

ある人は、理解できない領域と位置付けた。

そうやって自分は安全なところにいると心底思い込めるのはとてもおめでたい。

それはそれで正しいと思う。

 

ただ、知っているのも大きい。

言ってることは本当で、だけど事実は決して変わらないということ。

私は確かに強くなった。

 

 

 

そこにいてくれる人がいる。

別に私のことを待っていないと思う。そんなこと考える間も無く私がそこに帰るから。

ほぼ一緒に住んでいる人だと位置付けてくれた。

実家には頑なに挨拶に行こうとしないけど、いずれ行くつもりはあるみたいだ。

 

だとしても、私はその人のためだけには生きない。

どこまで行っても、私の人生を生きるのは私だけで、人生は基本孤独だという前提を崩すべきではない。

 

 

 

ある歴史の終わりを迎える。

 

感慨深いと親友が言った。

 

私もそう思う。

 

 

 

これでいいよ。

いろいろなことを諦めたかもしれないけれど、

いろいろなことを諦める人生かもしれないけれど、

私はこれでいい。

 

幸せは自分で決められると思うよ。

 

 

ようやく、全てが満ちて、全てが孤独に帰して、

また何にもなかったかのように日常に戻る。

 

 

恋人は何も知らないし、知らなくていいことだ。

 

でも、

「乗り越えたんやろう」と言ってくれた。

 

そうよ。

年下のガキだけど、色々乗り越えて今の私があるんだよ。

 

 

 

出会ってくれてありがとうと伝えたい。

かしこまって話すと「何言ってんのなおちゃん」と言われるけれどね。

 

 

ある歴史の終わりは、

またある歴史の始まりなのだなと思う。