不思議なことだけれど、たぶん大丈夫なんだろうなと分かる領域にその人はいてくれて、私は「ふつうに」日々を過ごしていられる。
仕事はかなり大変になってきて、いくら集中してもなかなか終わりが見えなくなってきた。
まだ火曜日とは思えないほど疲弊していて、でもあと三日で今週が終わると思うと、出来ていない事があまりにも多い。
片っ端から終わらせないといけないのに、ボールを投げたらすぐに違う方向から別のボールが飛んでくる。
取って投げて取って投げて。
そうこうしていると、落ち着いたらやろうと思って横に置いてあるボールはずっと放置されたまま。
やろうやろうと思いながら手を付けられずにいると、絶妙なタイミングでトレースがくる。
「あの件どうなってますか?」
あ、忘れてないですーー!でも気付いたら引き受けてから1週間も経っていたりして、ごめんなさいと思う。
何も終わっていない感覚が強くなっていく。
だって全部終わったとしても「落ち着いたやろうと思ってること」が待っている。本当はそれこそ早くやった方がいいことだって分かってる。
これが終わったらやろう
落ち着いたらやろう
でも次から次へと降ってきて、少し立ち止まることさえも憚られる。だってその立ち止まっている間にどれだけの仕事が溜まっていくの?って。
みんなどうやって終わらせているんだろうと思う。
この仕事は続けていきたいと思う。
やりたいと思っていた仕事な気がする。
でもこのままでは無理だ。仕事は増えていく一方で、ずっと「終わらない」と思い続けなきゃいけない気がする。
平日は最近、そうやって過ぎていく。
でも
だからこそ
その存在に救われる。
あの人も頑張っている
だから私も頑張ろうと思える。
弱音を吐いていられない。
土日はその安寧の場所でしっかり休むために、平日は乗り越えていくんだと。
だから、とっくにキャパを超えている気がするこの状況もある程度「ふつうに」静観していられる。
連絡を取らなくても、多分そこにいてくれるだろうと分かる。
帰ったら多分、おかえりと言ってくれるだろうと分かる。
いろんなことをあまり心配しなくても大丈夫だろうと分かる。
ただ、大切に慈しめばいいだけ。
一緒にいる時間を楽しめばいいだけ。
何も心配しなくていいと言ってくれるその人の横で、移ろい行く季節を過ごすこと。
そのことに、じわじわ心が温まるような喜びを感じていればいいだけ。
眠い時は寝て、お腹が空いたら食べて、天気、季節、家族やティクの話をして、今日何を食べる?明日何をする?次のお休みはどこに行こうか。
そうやってこの場所で過ごす残りの時間を、楽しめばいいだけ。
だから、いいの。
仕事は仕事で、別の世界線だと思えばいいよ。
未来は今の延長線上にある。
すぐに答えを出さなくとも、色んなことがきっと予定調和のように収まるところに収まる日が来るでしょう。
その人は、私の半分じゃない。
私とは全く別の、1人の自立した人間で、違う人生を生きてきた人。
でも、自立した人間同士が、重なる部分を慈しむように、一緒に生きていきたいと願ったりする。
どっちでもいいよ。
いつも私たちそれぞれが選んでいいの。
もちろん、願わずにはいられないけれど、それはまた別の話だよ。
仕事は仕事。
私はまた明日も仕事をして、その人もその人の仕事をして。
そうしているうちに週末になって、私たちはまた他愛もない話をして笑うのよね。