一度も会ったことがない人とでも4時間以上電話が出来る私は、立派な「コミュ力高い子」でしょう。
『猟をしながら絵を描いて会社経営もしてるお友達(仮)』
何個か前のブログに登場したその人は、同い年にも関わらず60歳の貫禄すらも醸し出す不思議な人です。
生きていない私がテキトーにしゃべった滅茶苦茶なアイデアをすぐに繋げたりするところや、証券会社時代のワイルドな営業スタイル、本業を副業にしてしまうという上司もびっくりな働き方。そして、ビジネスをビジネスとしてというよりは「楽しみ」の一つとしているような生き方も、この60歳(仮)だから出来るんだろうなぁと思いました。
少し時間がかかるとは思いますが、私も目を細めないと見えないような小さな世界で、ビジネスと言われる何かをやってみようと思います。何をすればそれが出来るかは、今は皆目見当もつきませんが、まぁ生きていればなんやかんやなるようになるでしょう。
さて、今日は「生きてきて一番、世界を生きていない日」の話です。
というか、今日がそういう日でした。
行くべき場所には全部行きましたし、食べるものは食べて、ジムにも行って、日記も少し書いたし、ゴミも出したし、普通に過ごせてはいるのだけど、何も心に残っていないような気がするのです。
余計なことばかりよく覚えている方ですが、おそらく今まで生きてきて、こんなことは一度もないと思います。
悲しくなることは多いけど、これまではその悲しさに向き合おうと思えていました。何故悲しいのか、どうしたら悲しさから抜け出せるのか、どんな言葉で自分を励ませばいいのかを、考えて考えて、ずっとぐるぐるしていたように思います。よくそんな力があったものだと感心します。
今は、何もありません。何が悲しいのかもわからないまま、けれどただひたすらに悲しいのです。世界を生きていない私には、何も見えません。こういうことは初めてなので、日記に残しておいて、またこうなってしまった時のための対処法として、取り出しやすいところに保管するべきでしょうか。
なんとか抜け出すために頼ってみたけれど、こういう時は頼ってはいけなかったのを思い出させてくれるだけです。
やりたいこと100個は、5個だけ思いつきました。
100個も挙げられる日は来ないように思えてきました。
良かったらアイデアを下さい。「私がやったらいいと思うこと」みたいな感じで。
さぁ、これは明日も続くんでしょうかね。