こんばんは。
今日は写真も何もなく、ただ文字にだけ残しておきます。
2016年の6月から書いている日記が、今週の月曜日に18冊目に突入しました。
内容なんて何もない日もあれば、良いこと言うじゃんってこと書いてる日もあったり。書ける日も書けない日も、いろんな日があって、いろんな感情の波が見えて。あっという間に18冊目。
10冊目くらいからぽつぽつ登場するようになったそれは、今となってはもう登場しない日の方が珍しいほどです。
例の11冊目はまだ私の手元にあるけれど、いまさら渡してもきっともう既知の情報が多すぎて笑っちゃうんだろうなぁ。
日記を書くことは、ブログを更新することともインスタを投稿することとも違う。ただただ、自分だけの世界。自分で自分を励ますため。自分で自分を許すため。そして何より、私が人生に納得して生きるためのもの。
しばらく書けていなくても、いつものジェットストリームで文字を書いた瞬間に「やっぱり日記書くの好きだな」と気付くんだ。
大学にいて、それなりに授業に出て、それなりにバイトに行って、それなりに一人暮らしをしているだけで、こんなにも大変だと感じる毎日。その生活の中に日記があって、私は頭を整理出来る。
でも、それが幸せかと言われれば、楽しいかと言われれば、それはまた別の話。
「地味に忙しい」が毎週押し寄せ、私は何とかそれを乗りこえているけれど。
だけど「大学生」として求められるのはもっと個性的で、もっと自由で、もっと多様性に富んでいて、もっと輝いている姿。大学生ってだけで、「そうあるべき姿」をなんとなく求められている気がして仕方ない。
幸せはこういうものだって決まってる気がする。楽しいっていうのはこういうものなんだよって決められてる気がする。
私はきっと、これからもそう感じずにはいられないんだろうと思う。
でも、そんな頭でっかちな私を、私は別に嫌いじゃないかも。笑
楽しいって思えない自分も、幸せって何なのか分からない自分も、これからも付き合っていかなきゃいけない自分自身であることに変わりない。
大丈夫だと思う。
生存確認をしてくれて、鹿肉の燻製を送ってくれると言う人がいるから。
小さなことひとつひとつをほめてくれる人がいるから。
ひずんでる私を、声を出して笑ってくれる人がいるから。
そういえば、9月に預かったそれを読んだ。
「12月のこすぎなおへ」だから、12月になるまでちゃんと待ったんだ。
いつもフライングしてたけど、今回は楽しく待てました。ありがとうございます。
一緒に読もうと言っていたから、先に読んでしまうのにはとても抵抗があったのだけど、それでもあの時のわたしには必要だった。どうしても、9月の心に触れたかったらしいわたし。
ここでも謝っておく。ごめんなさい。
きっとまた少しだけぎこちなくなる。だけど読んでしまったものを取り繕うのはもっと嫌だもの。そのぎこちなささえも楽しめたら良い。
この返事は、またお気に入りの便せんに書こうと思う。
あ、コーヒーのこと、また話しましょう。ポーランドで見つけたそれを、日本で見つける人。出会いって分からんもんですね。色んなことに興味を持ってる人に沢山影響され、私はいまやりたいことがまた増加傾向。
よかったらまた付き合ってください。
んー。
きっと私の「楽しい」はこれなんだろうな。
十分だ(#^ ^#)
何にも興味がない私だけど、だからこそ出来ることを探そう。
18冊目の日記はどんな1冊になるでしょう。
貶したり傷つけたりして自分を守ることなく、一歩ずつ後ろに下がっていける18冊目にしよう。