それがなんの木なのかをみんなが思い出すのはきっと春。
だから花も葉っぱもない、冬の「さみしそうな」木はとても好き。
きっと、それらがさくらの木だってことを今認めているのは私だけなんじゃないかと思えてくる。
その「さみしそうな」木が、とても美しく見えた帰り道。
もうすぐ夜が来るのだと西の空が知らせたとき、そこに浮かんだ木々の枝は、何もまとわずただ凛と佇み、「さみしそう」よりもむしろ心地よさそうに見えた。
春休みの人が居ないキャンパスの中を、そんなことをぼんやり考えながら歩いた。
私は、花も葉もないその心地よさがとても好きだなと思った。
そんな日。