Ambiverts

Introvert and Extrovert. いつもどこかに進んでいたい人のブログ

何者にもならなくていいんだよ

 

 

 

こんにちは。お久しぶりです。

 

 

今日からお盆休みです。

つまり長期休みに入らないとブログが書けない女です。

 

 

妹氏は先週末から早めの夏休みを取り、それはもう思う存分遊びまくっていましたが、私は毎度お馴染み隠居生活を送る予定です。

 

リアルインドア派舐めんなよ♡

 

 

さーーー、ブログを書かない期間が長過ぎて、何を書いたらいいか全く分かりませんが、せっかく書き始めたのでこの記事はなんとか投稿までこじつけたい!!(なんの意地だろう笑笑)

ともかく、筆を慣らしていくためにつらつら書いてみます。

 

 

 

「何者かにならなければならない」について

 

 

「何者かにならなければならない」という気持ちがいつからかずっとありました。

 

世間の正解をたくさん集めて、“みんな”に認められる私にならないといけない。みたいな気持ちです。

今はだいぶマシになりました。

その気持ちが一番強かったのは大学時代だと思います。特に休学を決めるまで。

 

「何者かにならなければならない」

その気持ちが自分をmotivate出来るなら良かったのだけど、私の場合はひたすら負のループを生んでしまってたと思います。

「やらなければならない」でがんじがらめになって、目の前にある小さな喜びや楽しさに気づけず、何にも意味を見出せなくなる無限ループです。あるあるといえばあるあるですよね。

 

世の中の正解を全部こなそうとしても、私が手を伸ばせる範囲は思ってたよりもずっとずっと狭くて、小さくて、少なかった。

そして、正解に向かってもっと手を伸ばしたいと思うほどの体力も気力も、そして情熱もなかったようです。

当時の私はそれを「もっと頑張らなきゃいけないのに頑張れない自分」としてしか捉えられず、自己肯定感が安定していることは少なかったです。

 

 

社会人になって良かったと思えることの一つに、自分が何をしてたら楽しいか分かるようになってきたことが挙げられます。

 

お絵描きして楽しい

日記を書いて楽しい

好きな文房具を集めて楽しい

カフェでコーヒーを飲んで楽しい

ものがたりに浸って楽しい

好きな音楽を聴いて楽しい

お弁当を作って楽しい

ストレッチして楽しい

 

「何者かにならなければならない」と思ってた頃は、そのどれもが、やらなければならないことから逃げるための盛大な怠惰に感じられて、どうしても心から楽しむことができなかった気がします。

 

自立して、全て自己責任みたいな生活になって、私は私がどうしたいかだけを考えれば良くなりました。

 

お絵描きしたい。

日記書きたい。

好きな文房具を集めたい。

カフェでコーヒーを飲みたい。

好きな本を読みたい。

好きな音楽を聴いていたい。

テンションが上がるお弁当を作りたい。

ストレッチ頑張って開脚もっと開くようにしたい。

 

やりたいことが地味過ぎ。笑

でも、大学時代は盛大な怠惰だと思っていたことが、私にとっては至福の時間。大事にしたい、私の大切な一部でした。

 

でも、最初からそれでよかったの。

やらなければならないのに出来ないじゃなくて、やらなければならないことはそもそもそんなにやりたくなかったんだとしたら?

無理して世間の正解を目指さなくたっていい。私の自己肯定感は私が作れば良い。

そう思えるようになってきた。

世間にとってそれが正しいかどうかは分からないけど、少なくとも私にとってはとても心地が良いことです。

 

 

生きているだけで、色々な価値観に揉まれます。

社会が私たちを洗脳していく。「これが正解だよ!こう言うのが素敵だよ!こういう人になるべきだよ!」って。

それに見事に飲まれた大学時代。

 

でも、自分の機嫌は自分で取りたいもの。

どんなに地味で小さいことでも、これが私のやりたいことだよーって。そうやって生きる方が多分今の私には合っている。

何者かにならなくていい。私は私の好きな自分になるための努力に全振りするよ♡笑

ちょっと強くなった気がする26の私。

 

 

「何者かにならなければならない」

今もその気持ちはほどほどに残っているけれど、今はどちらかというと「自分を後押しするプラスの感情として」だと思います。

 

 

 

色々書き過ぎました。

文章構成諸々も崩壊していますね。ごめんなさい。

それもこれもいつものことかな!?笑

いつものこととか言えるほど最近はブログを書けていないけれど。

 

下火でそろーっと続けていきたいと思います。笑

 

 

それではまた。