Ambiverts

Introvert and Extrovert. いつもどこかに進んでいたい人のブログ

自分で選んでここにいる。

 

 

知らなかったことをたくさん知る。

 

別にどっちでもいいと、本当にそう思っている。

 

「ただ、楽しめばいいんよ」と、そう言った。

 

 

 

ネガティヴな意味じゃなくて、

なるようにしかならないんだよ人生なんて。

 

だからどっちでもいい。

 

ただ、今を楽しむだけだ。

 

 

こんなことを書くこと自体、期限付きスタンスを潜在的に持ってますって告白してるようなものかい?!笑

滲み出てしまってるね。笑

きっと怖がってるんだと思うけど。

 

 

でも、後ろめたさがどこにもないこの気持ちは。

そして、これが私だけでなはないと半分確信を持って分かるこの気持ちは。

 

本当だ。

 

 

とても新鮮で、ありがたい。

 

嬉しいよ。

 

 

 

 

 

「本当に変わったね」と言われた。

 

3年前京都で会った時と比べて、いい意味で別人だと言ってもらった。

 

 

人を羨んだり、妬んだりしなくなったんだね。

手が届く周りの人と、何より自分自身を慈しむことの大切さを知ったんだね。

色々なものを手放した君はもうこんなに強い。

 

そう言ってくれた。

嬉しかった。

 

たぶん、今だからその言葉がしっくり来るんだろうな。

 

 

 

 

約5年の暗黒期を乗り越えたんだろ?と言われた。

27になって今が1番若いと思ってると伝えたら、その日の夜にそう言って笑った。

 

 

そうだね、

 

乗り越えたよ。

 

自分の力で。

 

 

 

 

嬉しかった。

 

 

乗り越えたんだろと言われたことも

乗り越えたと自分ではっきり分かることも。

 

 

 

 

夢の中の出来事みたいに段々ぼやけていってるけど、それでもまだ全部、心の中にある。

 

小さい頃から徐々に作り上げてしまった偏ったマインドセットとか、どうにか体裁だけ保ったひょろひょろの自分軸だけそこにあって、色んなことをしたのに何も1番中心に置くことができず、何かに依存することで一生懸命になったフリをしていたあの頃の自分とか。

 

 

でもあの時はあれが精一杯だったし、私にとってはあれらが正解だった。それを正解にするしかなかった。

そうすることで安心していた。

 

 

悲しみの中でしか喜びを感じられない環境も、あの時私が自分で選んでいた。

 

自分で悲しみに身を浸して、時折差し込むか細い光に手を伸ばすことが、私が感じることができる喜びの全てだったかもしれない。その光を掴めたことは一度もなかったとしても。

 

 

あの時があるから今があるし、

後悔してるかどうかなんて考えもしないほど、あれも全て私だった。

 

 

 

 

選んでたって今は言えるけど、

そりゃあ当時はそんなふうに思えなかったよね。

 

 

よく、人は選んでそこにいるんだと言われてしまう。

自分が辛くて、悲しくて、しんどい思いをしていて、なんとかそれを人に打ち明けることが出来たのに、「それ(辛い・悲しい・しんどい状態)を選んでいるのは君でしょ」って一蹴されてしまったりする。

嫌ならやめればいいのに、それでもそこにいることを選んでるのは君自身じゃないか。とかってね。

 

あ、えーと、うん!そうですね!!!

まーほんとおっしゃる通りなんですけどね!!

 

 

 

「好きでそれを選んでるんでしょ」

 

本当に悲しい人や本当に苦しい人にとって、

それがどんなに残酷な言葉なのかって、「大丈夫」な人には分かりにくい。

 

 

だって本当にその通りだもの。

嫌ならやめればいいし、痩せたいなら食べずに運動すればいいし、受かりたいならもっと勉強すればいいし。

 

確かに自分で悲しみを選んでるのかもしれないよ?!

 

自分で選んで絶望に身を浸しているのかもしれないけれど。

悲し過ぎて何もかも嫌になって夜な夜な泣いている自分に本当は安心したり、陶酔してるのかもしれないけれど。

”そこ”にいることでしか得られないものがあると無意識に知っていて、自ら”そこ”を離れないでいるのかもしれないけれど。

 

でも、それでも辛いもんは辛い。

悲しいもんは悲しいんだもん。

しょうがなくね?

 

 

だからあの時の私は、ああやって生きるしかなかった。

 

 

 

 

でも確かに乗り越えた。

 

あれも、過去になった。

 

暗黒期と笑って称せるほどに通り過ぎた。

 

 

 

楽しめばいいんだよね。

 

 

もっと当たり前にしていこうか。

そういうのは、どうかな?

 

 

そう言ってくれたみたいに。

 

 

 

 

なんで今こんなことを書いてるんだろうって考える。

少し怖がっているのかな。

 

 

悲しくない喜びが目の前にあることに慣れていなさ過ぎて、

これをどうやって受け取ればいいか分からないのかもしれない。

 

 

 

 

「ただ、楽しめばいいんだよ」と笑った。

 

 

それは悲しくないということ?

苦しくないということ?

どこまでも落ちていくことがないということ?

痛みを、分けあえるということ?

 

 

 

風が強い朝。

日が当たらない道は前より少し寒くなっていて、会話もなく道を歩いた。

 

週始まりの雑踏。喧騒。

少し眴せをして別れる。

 

 

Maroon5のmemoriesを聴く。

 

 

また一週間が始まった。

 

私は今、選んでここにいる。

 

全部自分で選んで、ここにいるよ。