Ambiverts

Introvert and Extrovert. いつもどこかに進んでいたい人のブログ

転職します!

 

こんばんは。

 

色々落ち着いてきたのでここも残しますが、転職を決めました。

現職は7月末で退職、次の会社は8月下旬入社予定です。

 

5月のGW明けから本格的に転職活動を始め、6月中旬に内定をいただいた会社に入社を決めました。

寝ても覚めてもずっと緊張し続ける1ヶ月を過ごして精神的にかなり疲弊しましたが、最終的に第一志望になった会社に内定を頂けた時は、もう全てから解放された気持ちでした。

 

本当に報われた気持ちです。

 

今日に至るまでの、点が繋がって線になっていく感覚。

 

「努力は必ず報われる」

そんなセリフ自分には縁がないと思っていたのに、ああこのセリフはこういう時に使うんだなと、妙にしっくりくる瞬間があってびっくりしました。

 

 

あー、多分ちょっと病んでる感じ出ちゃいますけど、色々書けそうなので残しますね。笑

 

良かったら読んでくれたら嬉しいです。

 

 

 

大学4回生の時は、とってつけたようなひょろひょろの“就職活動の軸”に縋って何とか頑張っていたけれど、そもそも今就職していいの?まだやり残したことあるんじゃないの?みたいな気持ちも強く残っていて、当然やりたい仕事なんて分かるはずもなく、気持ちもぐらぐらで、発言に一貫性もなかったと思います。

だから面接はおろか、書類選考も全く通らない。焦りはあるけど、そもそも就職すること自体正しいのかわからないからそっちに全振りできない。面接に行っても休学期間が響いて落ちまくる。卒論、バイトと並行しながらなんとか就職活動も進めているけど、精神的に不安定でいることが定常化、それで生理周期が乱れまくって二度の救急搬送。でもどうにかこうにか過ごす日々でした。

最後の最後で拾ってもらったのが今の会社で、今はとりあえず仕事があればいいやくらいの気持ちで就職を決めたのを覚えています。

 

最初は、明日会社に行けるかどうかすら不安になるほど何もモチベーションが無くて、まずは3日出社することが目標でした。3日行けたら次は一週間。一週間行けたら次は一ヶ月。一ヶ月行けたら次は三ヶ月。そうやってどうにかこうにか出社し続けました。

でも半年経つ頃には、この会社のなかで自分がどのような役割を果たせるかを考えて走り始めていました。私が価値を提供する相手は社外の人間ではなく社内の人間なのだということを受け入れ、社内調整に徹しました。入社したばかりで経験値が浅いことや、私が若い女であることを嫌悪する人が全くいないわけではなかったけど、今思えばよくみんな受け入れてくれたなと思います。ただガムシャラに、ふとした瞬間に感じる「楽しい」という気持ちを頼りに走りました。

2年目には、社内の生産状況ならコイツ(私)に聞けばいいという共通認識が生まれ始めていました。分かることも増えて、問題ごとに頼ればいい人もなんとなく掴み始めていました。その反面ぶち当たる壁も増えて、特に、問題が起きているのに会社が解決してくれない状況に対して苛立ちを覚えることが増えました。今思えば「会社が解決してくれない」と言ってることが自分の未熟さを物語っていますけれどねwそして、自分が気付かなかっただけで、すげぇ大人は沢山いました。推しの先輩も、推しの部長も、仲良くしてくださるお姉様方も、実はとても素敵な人たちと一緒に働いていることを知りました。

そして3年目に入る頃には、この業界の面白さを垣間見ることが増えていました。毎日入荷して毎日作って毎日出荷して、常に循環し続ける場所。壮大なサプライヤーチェーンの末端として、エンドユーザーに直接物を届けることはないけれど、ここで作ったものがいつか、日本だけでなく、海を超えたどこかでも誰かの生活を支えることになるんだということに、ロマンのようなものを感じるようになっていました。この部品は次どこにいくんだろうとか、他のメーカーは何を作ってるんだろうとか。今いるのは末端だけど、もっとメーカーに近い会社はどんな場所だろうとか。サプライヤーチェーンの上層に興味が湧くようになっていました。

 

会社の状況も相まって、少しずつ意識し始めていた転職活動に本腰を入れたのは4月末のことです。

迷いもあったけれど、転職理由を自分以外の要因に押し付けることができる絶好の機会を逃すわけにはいかないと、半ばやけになっていたと思います。それに、現職の会社に勤め続けることの不安が、ゆくゆくは転職活動のストレスを上回ると思ったので、転職活動は逆に不安を潰すような感覚で始めました。

結果的には一ヶ月間精神的負荷をかけまくった結果かなりの精神的安寧を得られたので、この作戦は成功だったね。笑

 

5月のGW明けから本格的にエージェント面談、企業面談、企業面接が始まりました。

4回生時の就職活動との明確な違いは2つ。1つ目は自分がやりたいことがとても明確だったということ。製造業の生産管理。製造業といっても自動車が良くて、しかもカーメーカーではなくサプライヤーがいい。そして2つ目は、話せるエピソードなら無限にあったということです。

「やりたいこと」これは、”お金を稼ぐ手段としてのやりたいこと”なら初期の段階から結構言葉に出来てた気がします。現職を通じて、どんな時に仕事のやりがいを感じるかはなんとなく分かっていたし、サラリーマンとして働くなら社内循環を良くしたり部署や人を繋いだりする仕事をしたいとは思っていました。そして出来ればちょっとやそっとのことでは潰れなさそうな、将来性のある会社。今思えば、転職活動の軸が明確だったということかも。

「エピソードが無限」これは、ひたすら文字に起こしてまとめていて気付いたことですが、面接で聞かれる一通りの質問に対して、答えられるエピソードならいくらでもありました。仕事での成功体験、失敗体験、成し遂げたこと、構築した仕組み、困難に感じたこと、やりがい、得手不得手。書いて声に出してを繰り返していて、自分がこの2年どれだけ頑張ってきたかを客観的に見ることが出来ました。よく頑張った。もちろん自分だけで成し遂げた仕事なんて1つもないけど、それを前提に置いたとしても、よく頑張ったと思います。えらい。

 

会社のほとんど、私の2年の社会人経験を重視してくれました。

大学時代2年休学した自分ではなく、社内調整役に徹した社会人としての自分。もちろん休学期間に触れない企業はなかったけど、自分にはそれが必要だったと素直に話すと理解してくれる会社が多かった。

 

大学4回生時のことを思えば信じられないほどの通過率で続々と選考が進み、一ヶ月で3社が内定をくれました。この2年やってきたことは全て意味があったと思えた瞬間。

今思えばあの一ヶ月間、タイミングも何もかも全てがうまくハマって、次々に点が繋がっていったように思えます。内定を辞退することになった会社でも、その選考を通して得るものはたくさんあって、それが最終的に入社を受諾した会社の面接で役に立ったりして。

 

2年前今の会社に入社したこと

社内調整に徹したこと

このタイミングで転職活動したこと

 

そういうの全部がカチッとハマって結果につながったと思いました。

選んだ道を正解にすることが出来たんだと思います。すごい。えらい。

 

本当に、全てのことに意味があった。

職務経歴書のブラッシュアップも、SPIの勉強も、ひとり面接練習も、色んな人の力借りながらですが、自分なりに本当に本当に頑張りました。悔いなし。ベストを尽くせた。

努力は必ず報われるんだと思いました。

 

これから選ぶ道も、正解に出来るようにがんばります。ぼちぼちね。

 

 

現職の会社に対しては色々な感情が入り混じるけれど、特に推しの部長に申し訳ない。きっと一気に人が辞めていくから、推しの部長だけ異様に大変になってしまうと思います。

でも、辞めると決めたからには、引き継げることを引き継いで、あとは最後まで出来ることをするだけ。そこからはもう課題の分離です。

 

 

さぁ、長くなりましたけれど、ここまで読んでくださってありがとうございます。

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帰り道に虹が出てたよハッピー♡な写真を載せておきます。

 

それではまた。