Ambiverts

Introvert and Extrovert. いつもどこかに進んでいたい人のブログ

セブンのデニッシュにゆで卵を挟んで食べる。

 

 

こんばんは。

 

ほんとは昨日ブログを書こうと思ったのだけれど、

あまりにも体調が悪くて諦めました。

 

今日はもう日付も変わっていて、一刻も早く寝るべきなのは分かっているはずですが、何故かブログの編集画面を開けた私がいました。

睡眠負債を負ってでも今日書き散らかしたいことがあるのかな。

コレ!っていう内容は決まってないけど。(ないんかい)

 

 

最近、とてつもなく穏やかな安らぎを感じることが増えました。

この安らぎにどんな名前を付けようかと考えた時、セブンのデニッシュにゆで卵を挟んで食べた時のことを思い出した。

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決して相性バッチリではないはずなのに、甘いパンにゆで卵を挟んでマヨネーズをかけたそれはなぜかとても美味しくて、穏やかで、安らかだった。

 

名前つけれとらんがな。

 

でも、

「救済」とかなのかな。

 

なんか重いけど、そんな感じかもしれない。

 

 

 

生きていると、毎日色々なことがあります。

 

自分ではどうしようもできないところで起きていることに気を揉んだり、

その結果自分の自分ではない部分まで変えようとしたり。

傷ついていることに気付いて欲しくて、悲痛な叫びを綺麗に畳んで醸し出してみたり。

なんとかその苦しみを受け入れようとして、自分じゃない人を無意識に貶めていたりとか。

 

 

あれは多分、そういうの全部からの「救済」だと思った。

 

 

 

人は関係ない。私は私でいるだけで完結していて、それだけでもう十分だということ。

ふとした拍子にどこかで飛んでいってしまいそうなその概念を、あのデニッシュを思い出す間だけは、きっと忘れることはなさそうだよ。

 

 

 

11月に入って、段々と2022年も終わりに近づく。

 

今年は本当に濃い1年だった。

 

今までの人生の中で一番、喜びや感動や幸せを感じた1年だと思う。

でもそれは、この数年があったから感じられることで、これまでの私も確かに、人生に納得して生きるために毎日必死に生き延びていたことを知ってる。

 

 

偉かったよ。

 

よく頑張った。

 

 

だから今日があるんだなと分かる。

 

 

 

私を生きてきてくれて、本当にありがとう。

 

 

 

そして、救済。

 

「救済」は、私が一方的に与えられるのを待つものではなくて、

どんな場面でも、私がいることで少しでも穏やかな時間が増えるようにと願うこと。

 

 

セブンのデニッシュにゆで卵を挟んで食べた朝を思い出す。

色々なことがあるけど、いつも笑っていられたらいいなと思う。

 

 

きっと救済もそれを望んでいる気がする。